逃げるが勝ち。自分がラッキーになれる場所へ飛び出そう
税理士 平林夕佳
逃げるという言葉から、負けを認めてしまう否定的な意味で捉えられがちですが、逃げることは戦術の一つとして賢い選択です。
作家、伊坂幸太郎さんのアイネクライネナハトムジークが映画化され、去年、試写会が当選しました。伊坂ワールド満載の感動する作品でした。
逃げるのは悪いことなのか
小学生の頃、クラスメイトとケンカして立ち去ろうとする相手に、「逃げるなよ!」と言い合うことがありました。
小さい子供でも、「逃げる」を否定的な意味で使うところからすると、日本ではその場を去ってリセットするのは正々堂々としていない、卑怯者だと相手に印象付けてしまう行動で、その後の学校生活でも卑怯者として後ろ指を指されてしまうような気持ちになるのでしょう。
ここに居たくないと思っても、我慢して居続けること、正面から立ち向かうことが美徳とされていたのでしょうか?
我慢することは美徳なのか?
小学生のケンカくらいならまだ許されるかもしれませんが、中学・高校の部活動や会社ではどうでしょうか。
中学生以上になると、周りから見た自分の評価を考えて行動するようになります。
人間関係が嫌になり、中学生(高校生)が部活を辞めたいと思ったとしましょう。しかしそこでスパッと辞められないのは、周りから飽きっぽい人、我慢できない人と思われてしまうからです。
自分に対する周りの評価が、信用できない人になってしまう恐怖があるからだと思います。
しかし最近、強く思うのは、人から強いられる我慢は本当に自分に対して実になるのか、ということです。
自分にとって実になることなら、継続することが辛い、今日は休みたい、止めたいと思っても我慢して続けるでしょう。我慢して続ける理由は、自分への肥やしになるから我慢ができるのです。
そうではない我慢、人から強いられる我慢は自分が疲弊してしまう我慢だと思います。全く美徳だとは思いません。
逃げるが勝ち、自分がラッキーになれる場所へ飛び出すこと
逃げるが勝ちという言葉があります。逃げ出してその場からいなくなることより、自分がラッキーになれる場所へ飛び出すという意味の方がぴったりします。
逃げていなくなるのではなく、自分がラッキーになれる場所へ飛び出すのです。
そう考えると、今、不毛な我慢をしている方は、「どうしたら、自分がラッキーになれるか?」と前向きに逃げることができるのではないでしょうか。
人から強制される我慢は昭和の時代です。今は令和の時代ですから、不毛なことに時間を奪われて我慢をしていては、時間がもったいないのです。
頭を切り替え、逃げるのではなく自分がラッキーになれる場所へ飛び出しましょう。
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